沖縄にも鉄道があった!?南風原町の史跡「山川駅跡・宇平橋碑」をご紹介!
沖縄といえば言わずと知れた観光の島ですが、かつて戦災にみまわれたこともあり、地域の歴史を伝える史跡は少ないです。
しかし訪れる人は多くないものの、よく探せばその地域ごとに歴史的な史跡もまだ残っており、往時に想いを馳せることができます。
そこでこの記事では、南風原町にある史跡「山川駅跡」と「宇平橋碑」をご紹介いたします。
どちらも同じ場所にあるため、南風原町周辺で歴史散歩を楽しみたい方は、ぜひ訪れてみてください。
南風原町の史跡「山川駅跡」とは?
ご存じの方も多いと思いますが、実は戦前まで沖縄にも鉄道が通っていました。
それが「沖縄県営鉄道」で、通常の鉄道よりも軌道が狭い軽便鉄道であったことから「ケービン」と呼ばれ、多くの県民に親しまれていました。戦災で駅やレールなど、ほとんどの設備は失われてしまいましたが、現在でも各所に遺構やその痕跡が残っています。
ケービンには嘉手納線・糸満線・与那原線の3路線があり、そのうち糸満線が南風原町内を通っていました。今回ご紹介する「山川駅跡」はその駅のひとつです。
とはいっても駅の遺構などは残っておらず、そこに設置された説明板からそこに駅があったことを知ることができるのみです。また説明板がある場所は駅があった場所から東側に少し離れており、現在とは様相が大きくことなることが伺えます。
しかし説明板の周辺には、歴史を感じる広場が整備されています。広場には大きな木が生えており、その下は木陰になっているので、沖縄の風と歴史を感じながら休憩することができますよ。
場所は国道82号線と国道507号線が交差する津嘉山(南)交差点のすぐ南側。那覇空港自動車道の南風原南ICも近く、車で気軽に訪れることができます。また沖縄バスの「山川」停もすぐ近くにあるので、バスで訪れるのもおすすめです。
住所 | 沖縄県島尻郡南風原町津嘉山(沖縄バス「山川」停すぐ近く) |
アクセス | 那覇空港自動車道「南風原南IC」より車で約4分/那覇空港より車で約25分/沖縄バス「山川」停より徒歩約1分 |
南風原町の史跡「宇平橋碑」とは?
山川駅跡がある広場には、「宇平橋碑」という史跡もあります。
宇平橋とは、琉球王朝時代の1690年に王府が建てた橋のことです。当時、南部から王府のあった首里へ向かうには宇平川(現在の長堂川)を渡る必要がありました。昔から木の橋は架けられていましたが、虫に食われたり、風雨の度に傷んだり壊れたりしていたため、住民は困っていました。
そこで当時の琉球国王が、頑丈な石橋を架けるように命令し、約1ヶ月の工事を経て完成したのです。また橋と併せてそのできごとを記した宇平橋碑も建設され、橋の近くに建てられていたそうです。
来る沖縄戦により橋や宇平橋碑の台座は破壊されてしまったものの、宇平橋碑の本体は割れずに残りました。表面に戦車のキャタピラのような跡は残っているものの、ほぼ完全な状態で残っており、琉球王朝が建てた橋の碑文としては5番目に古いそうです。
現在は本物が南風原町の文化センターに保管されており、山川駅跡のある広場にはレプリカの宇平橋碑が建てられています。碑文とあわせて説明板もあるので、あまり知られていないその土地の歴史を知ることができるでしょう。
住所 | 沖縄県島尻郡南風原町津嘉山(沖縄バス「山川」停すぐ近く) |
アクセス | 那覇空港自動車道「南風原南IC」より車で約4分/那覇空港より車で約25分/沖縄バス「山川」停より徒歩約1分 |
まとめ
南風原町にはかつて沖縄県営鉄道の糸満線が通っており、山川駅跡は広場として整備されています。また同じ広場には宇平橋碑があり、琉球王朝時代に建てられた橋とその歴史についても知ることができるでしょう。
広場は歴史を感じる雰囲気に整備されており、大きな木の下の木陰で休憩することもできるので、歴史散歩に訪れてみてはいかがでしょうか?
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